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Yoshi's Face image ご挨拶

2016年夏にプロ写真家生活30周年を迎えた、北岡是樹です。
是樹と書いて"よしき"と読む、珍しい名前ですから是非覚えて下さい。
外国では"ヨシキキタオカ"となり、「キ」が連続して発音し辛い事から、
"Yoshi"または"Yoshi KITAOKA"と呼ばれています。

中学校在学中に写真家を志し、三年生の時初めて訪れた
鈴鹿サーキットで"ワイン・ガードナー"選手の走りと
"みし奈昌俊"氏の実況に心打たれ、
自分の活動フィールドをモータースポーツに決定。
最初は世界選手権がなんたるかさえ知らずに
『世界一の写真家』を目指し始めました。

親類で四輪のレースをしていた人がいた事もあり、
写真を撮るだけでなくピットクルーとしてもレースに深く関わるようになり、
自身も三度に渡りライダーとして地方選手権に挑戦してみましたが、
その結果は惨憺たるものでとても紹介するには値しません。
しかしながら四輪をドライブするのは比較的得意としていて、
レンタルカートのレースでは五戦に出場し二勝をしています。

1990年には高校卒業と同時に上京し、横浜に在住。
東京の出版社や雑誌社などから仕事を請けるようになり、レースの世界でも地方選手権から順に実績を重ね、
1991年には全日本選手権にステップアップを果たす。と同時に当時新設された環太平洋選手権にも全戦取材。
この環太平洋選手権は消滅するまでの総てのレースを取材し続けた世界でただ一人のフォトグラファーとなりました。

二輪四輪を問わず、あらゆるジャンルのモータースポーツを取材活動の場におき、
最大で一年間に48戦を取材した事もあります。

特に『ミスター・バイク』誌においては毎月沢山の誌面を割いていただき、
現在に至るまで本当に役立つ貴重な経験を数え切れないほどさせてもらいました。
同様に現在では廃刊となってしまった『レディスバイク』誌でも常に採用していただいていて、
この二つの二輪雑誌に一番の成長期を支えてもらっていたと言っても過言ではありません。

また1990年には当時富士スピードウェイで開催されていた四輪のインターF3リーグというレースも取材。
後にF1で皇帝等と呼ばれワールドチャンピオンに君臨し続けたミハエル・シューマッハなどの取材経験もあります。

1995年からは本格的に自分の活動エリアを世界選手権にスイッチする事を決め、
以降全日本選手権にレギュラーとして取材する事はなくなりますが、
可能な限り様々なカテゴリーのレースを常に取材し続けてもいます。

1995年には英国のチームに所属し、ガレージのあるオランダに住みながら
モーターホームでGPを転戦するという生活も経験。
チームの一員として(フォトグラファーとして)GPを戦った経験も素晴らしく得難いものでした。

その頃から日本での生活は割合としてどんどん少なくなり、ついに97年には鈴鹿市に移住してきました。

そしてその97年からはメインのフィールドをWSBにおく事に決め、
レギュラーメンバーとして転戦生活を続ける。
選手たち同様に各国で実績を積んで世界選手権にステップし
取材をするプレスの中で誰が一番なのかを決めるという、
勝負事の世界に居ると自然に沸き起こるシンプルな理由で始まったSBKナンバー1アワードにおいて、
開始年度と終了年度である翌年の二年連続でフォトグラファーズワールドチャンピオンを獲得できた事は、
自分自身の中でも誇ってよい成績だと感じています。

しかしながら自分自身としてはモータースポーツを題材としつつも、その中での世界一ではなく、
もっと大きい意味での写真家としての世界一を目指しているし、
自身にはその価値があると信じています。あとはそれを証明するだけ。

プロを目指し始めたその瞬間には、誰も真剣には聞いてくれなかった『世界一』という夢に向かって、
少なくとも間違った方向に進んではいないと、世界中のレースファンの方に認めていただいてタイトルを二度も獲得し、
今後も自分の夢と初心を忘れずに目標に向かって挑む気持ちを大切に作品を作ってゆきたいと考えています。

是非応援のほど、宜しくお願い致します。

北岡是樹


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